雅な京都

京都の神社仏閣をメインに名所散策しています
小浜湾四季の沖釣行期もリニューアル。 こちらも宜しくお願い致します。→http://blog.livedoor.jp/cenugatuta2010/

タグ:観光

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今日は、京都の北の端伊根の舟屋とXバンドレーダーを見に
行きました、
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丹後半島の伊根と経が岬風光明媚なところです、
沓掛から京都縦貫自動車道乗り宮津天橋立で降ります(橋立見学)
してから178号線で伊根へ一本道です、途中食堂やお土産屋さんが
有ります、お土産は帰りにどうぞ、なを伊根の舟屋付近は道が狭い
のでご注意を、
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観光船も有ります、船に乗るとカモメの乱舞が見られるかも?
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丘の上には和食やさんが有ります、此処のロケーションは
良いのでお勧め、最近何軒かのお店が出来ているみたいです、
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伊根観光が終わったら、さらに北上します、経が岬まで行きます、
此処には米軍のXバンドレーダーが設置されています、
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この近くに教が岬灯台が有ります(お猿さんが沢山います)
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此処が京都北端?日本海が綺麗です、_W2A5760
この辺はブリや鯛などの釣り場です、私も年に数回来ます、
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1781号線をこのまま行くと網野、久美浜、城崎へと行けます。


今日は、聖護院門跡行きます、
その前に熊野神社さんにお参りに行きました、
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熊野信仰の盛んな平安時代末期(1160ねん)後白河法皇
により創建されました、後白河天皇は1155年に即位され、
1158年に退位されました(院政の時代)現在の三十三間堂
の東側に法住寺が(法住寺殿と呼ばれていた、)有り住まわ
れていた、鎮守社として新熊野神社が、鎮守寺として
三十三間堂が創建されました、その造営に法皇の命を
受けたのが平清盛と重盛親子でした、法皇は生涯で34回の
熊野詣でされています、当日は京から熊野詣では大変でし
ので、熊野の別院として創建されました、長らく京の熊野
信仰の中心地として繁栄しましたが、新熊野と書いて
(いまくまの)読みます此れは紀州の熊野に対し新しい
京の熊野神社と言う都人の捉え方だとか、その後350年の
間栄えたのですが、応仁の乱以降、何度かの戦火に見舞われ
廃墟同然に成ったのです、江戸時代初期に後水尾天皇の
中宮東福門院が再建されました、(3代将軍徳川家光の妹)
です、現在の本殿は寛文13年(1663年)聖護院宮道寛親王
(後水尾上皇の皇子)により修復され現在に至っています。

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熊野神社に隣接した八つ橋発祥の家となっている、西尾八つ橋店です、
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その向かい側に聖護院八つ橋店が有ります、此処から北へ一筋上がり
東へ行きます、
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北に向くと左手に京都大学医学部附属病院があります、
IPS細胞の山中伸弥教授がおられます(もっと奥の建物ですが)
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東に行くと右側に西尾八つ橋さんがまた有ります、
右奥にレストランが併設されています、
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その向かいには、聖護院八つ橋店も有ります、北に進みます、
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左てのT字路を左へ行くとお蕎麦の美味しい河道屋が有ります、
雰囲気の良いお店です、その向かいには聖護院門跡御殿荘が有ります、
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中学生の修学旅行の際の宿泊施設にもなります

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桜が満開でした、
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聖護院門跡は、本山修験宗の総本山です、寛治4年(1090年)に上皇の
熊野詣での時に増誉僧正が先達を務め、褒美として寺を賜わり、聖体護持の
意味で
聖護院と名づられたみたいです、1788年の内裏炎上の際、仮皇居ともなり
(門跡となる)光格天皇遺品の屏風や狩野益信永納等
の襖絵百七十面が有る、
書院は御所の女院御殿(重文)を賜わった、
修験道の資料や什物を多数蔵する。

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コロナ対策で人の気配がなかったです、落ち着いたら是非一度
拝観されれば良いかと思います、
但し特別公開でないとみられません。

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永観堂の北に有る光雲寺の参道です、後水尾天皇の勅願所として
創建されました、南禅寺北ノ房ともいわれている、
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看板の通り年間1万数千人が参加される、南禅寺禅センターです、
此処は一般の拝観はされていません、
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門から勝手に覗かせてもらいました、すみません、臨済宗南禅寺派
で、大阪の摂津に有ったのですが、1661年頃後水尾天皇と
中宮東福門院(徳川家康の孫娘和子)が南禅寺の英中禅師に深く
帰依されてこの地にお寺を移されたのです、
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殆ど読めませんが一様の説明駒札です、
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本堂の出入り口かな?お庭は昭和の造園家小川治兵衛作みたいです、
疎水の水を引き、池泉廻遊式のお庭です、小川治兵衛は池には、
水が無ければ池で無いという考え方をされたことです、
寺の背後には、後水尾天皇の女顕子内親王の墓が有ります、
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門前を北に行くと久邇宮家の墓が有ります、宮内庁の管轄です、
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コロナ感染防止の為、土曜夜座禅は四月から五月までお休みです、
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お寺を出て鹿ケ谷通を北に行きます、鹿ケ谷カボチャで有名な
所です、
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左手に泉屋博古館という美術館が有ります、此処を超えると右手に
大豊神社の石碑が有ります、
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右に曲がり進むと小さな橋が有ります、左は哲学の道です、
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直ぐの神社は熊野若王子神社です(にやくおうじ)
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大豊神社の鳥居です、こま鼠に会いに行きます、12年に一度は
鼠年の人が訪れ大盛況になります、
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本社は狛犬です、
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こま鼠が鎮座しています、愛らしい鼠さんです、
帰りに少し時間が有ったので哲学の道の桜を見に行きました、
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人のいないタイミングで取りましたが、例年より人出は少ないです、
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今が絶景かな絶景かな、石川五右衛門かな? お粗末でした。
どうぞゆっくりと京都歴史散策お楽しみ下さい。

今日天気が好転し良いコンディションに成ったので
南禅寺からその塔頭とインクラインの桜を探索します、
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南禅寺入り口です、臨済宗南禅寺派大本山、約700年前の鎌倉時代末
に亀山天皇(90代)が御母大宮院の御所として、
離宮禅林寺澱を造営されたものです、
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一時石川五右衛門この山門に住んでいたとか?
有名な絶景かな絶景かな名セリフは此の山門です、
今日は山門の公開中でした、
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この店は、湯豆腐で有名な順正さんです、他にも何軒かのお店有り、
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後に鎌倉幕府の干渉に嫌気がさし南禅寺で出家されました、
臨済宗寺院を統制するために五山制度を作り、南禅寺は五山の一位
と成りました、南禅寺は永観堂の南に有る禅寺なので南禅寺です、
此の山門には十六羅漢が配置されています、(藤堂高虎の寄贈です)
天井の鳳凰や天女は狩野探幽と土佐徳悦の合作らしいです、
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法堂は明治42年の再建です、本尊は釈迦如来像です、
脇侍に文殊菩薩像がまつられています、
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此れが琵琶湖疎水水橋です、明治23年完成で東山の山頂から縦穴を
堀り琵琶湖と蹴上のレベルを合わせ横穴を掘って、琵琶湖の水を引き
ました、
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この水は、銀閣寺に向かっています(哲学の道)京都では珍しく
北にながれています(人工川の為)
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南禅院です、南禅寺発祥の地です、池泉回游式庭園が見事です、
夢窓国師の作です、
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天寿庵は南禅寺開山塔です、
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金地院は鶴亀の吉慶庭園と八窓席で有名です、
(京都では二つしかない八窓席の茶室です、もう一つは曼殊院です)
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東照宮です、徳川家康の遺命により遺髪と念持仏を奉納するために
建立したものです、天井の泣龍は狩野探幽作です、この様に沢山の
塔頭が有りますゆっくりと鑑賞してください、
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琵琶湖の水を引き日本初の発電する為の施設です、
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この事業の間に殉職者の方々の慰霊碑です。
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蹴上には疎水記念館が有ります、無料で見学できます、
水の流れる力を回転力に代えたり
回転で発電する機械が有ります、ドイツ製らしいです、
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田辺朔朗の設計で琵琶湖疎水が完成しました。
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この近くには、無鄰菴や和食の瓢停さんが有ります。
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岡崎ZOOも有り一日ゆっくりとご鑑賞下さい。何所も桜満開です。0116
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今日は、平安神宮から二条通りと岡崎道で六勝寺跡を散策します、
平安神宮は、明治28年平安遷都1100年を記念して創建されました、
祭神は桓武天皇(50代)で平安遷都をされた天皇です、その後に
平安京最後の天皇明治天皇の父帝の孝明天皇(121代)も合祀され
います、(昭和15年から)
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応天門です、二層楼門は大内裏の朝堂院の南正面門の応天門を復元
されたものです、


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大極殿です、大内裏の朝堂院の正殿で、天皇や八省百官の朝参や賀正、
即位などの国家の大礼が行われた建物の再建です、その伝統に基づき
前庭の左右に左近の橘、右近の桜が配置されています、
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西の白虎楼と東の清龍楼?平安京の大極殿がモデルです、広場には
西に白虎と東に清龍のオブジェが有ります、日本の四神は東西南北
の守り神で「清龍、白虎、朱雀、玄武です、」
西は神苑の入り口です、庭園は、庭師小川治平衛の作です、
とても美しいものです、
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平安神宮を出て南へ美術館の交差点を東に行くと白河院が有ります、
この辺りに法勝寺が有ったようです、
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駒札に有るように、八角九重塔で高さ八十メートル塔が動物園の中
に有ったのです、
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次に成勝寺に行きます、白河院の前を西に行きます、左に岡崎ZOO
の交差点を少し西へ、市バスのバス停の手前浸りに有りました、
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去年まで植木に埋もれていましたが、今日は綺麗に見えます、
美術館の敷地です、此のまま西へ進みます、成勝寺に行きます、
ポリボックスの横の市電が展示されている公園が有ります、
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都メッセの東北に当たります、次に延勝寺に行きます、
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都メッセの西北の角に有ります、
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もう一つ都メッセを西橋を越えたら南へ疎水沿いに有ります、此処から
北に行きます、二条通りを超え冷泉通り迄北へ右手の橋を渡り北へ
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この辺りま尊勝寺でした、今来た道を戻りロームシアター戻ります、
東側を北へ行くとドン付に有ります、
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有りました、説明図を大きく映します、
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次が大変でした、最勝寺を咲かします、場所は岡崎クランド
あたりから、尊勝寺辺りなのですが石碑が有りません、有ったのは
此れだけです、
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見難いのですが、最勝寺がこの辺りせつめいしているみたいです?
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此の写真の右端に説明しています、_W2A0555

六勝寺は、天皇や中宮の発願で、白河(現左京区岡崎)の地に建立
  された6つの寺院です。

法勝寺(ほっしょうじ)白河天皇御願。承暦元(1077)年落慶供養。 

尊勝寺(そんしょうじ) 堀河天皇御願。康和4(1102)年落慶供養。 

最勝寺(さいしょうじ) 鳥羽天皇御願。元永元(1118)年落慶供養。 

円勝寺(えんしょうじ) 鳥羽天皇中宮待賢門院藤原璋子御願。

成勝寺(せいしょうじ) 崇徳天皇御願。保延5(1139)年落慶供養。 

延勝寺(えんしょうじ) 近衛天皇御願。久安5(1149)年落慶供養。

「六勝寺の大体の場所」

●延勝寺現都メッセの西側から東大路迄

●成勝寺ポリスボックスの横の公園内

●円勝寺京都市美術館辺り二条通りのバス停近く

●最勝寺石碑無しで旧京都会館~岡崎グラウンド迄くらい、

●尊勝寺旧京都会館の中?

●法勝寺動物園から北に有る白河院あたりで高さ80m九重の塔(八角形の屋根)現ZOO

白河院は、もと藤原良房の別荘白河別業で、藤原氏北家に代々継がれていましたが、

藤原師実の時に白河天皇に献上され、承保2年(1075)白河天皇によってこの地に法勝寺

が建立されました。法勝寺は、尊勝寺、最勝寺、円勝寺、成勝寺、延勝寺とともに六勝寺

とされました。広大な寺で、五大堂、八角堂、常行堂などの諸堂が並び、池の中島には高さ約

80mの八角屋根の九重塔があったといわれています。文治元年(1185)の大地震で

塔以外の大半が崩壊、承元2年(1208)の落雷で塔も焼失。この時は栄西禅師が

大勧進となって一部再建しました。康永元年(1342)の火災で焼失し、その後衰退し、

廃寺となりました。
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法勝寺と関係が有るみたいですが解りません。_W2A0549
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二軒とも盛業店です、美味しいおうどんをどうぞ、上の山元さんはこの時
開店前でした。















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