北野天満宮は、学問の神菅原道真祭られています、約1060年前、
向かいには、豆腐で有名なお店とようけ茶屋が有ります、
西には天皇陵が有ります、
参道の西側には、多分秀吉も使ったであろう茶室が有ります。
北野天満宮のお使いは、牛さんです、自分の良くなりたい所をさすると
良くなるみたいです、
三光門は、中門の梁間の彫刻に日、月、星が有るので三光門と
言われていますが何所に有るか探して下さい(星は見当ら無いはず)
星は夜に成らないと見えません。
神殿に向かって右が左大臣で左が右大臣、祭神は菅原道真公と
中将澱(長男)と吉祥女(道真の妻)です、神徳は雪冤と学問の
上達です、平安前期の宇多天皇(59代)は関白家の藤原氏の北家
の独裁を排除するために関白を辞め、菅原道真を重要視し藤原氏に
対抗しましたが、60代醍醐天皇時に、左大臣藤原時平が道真が
天皇廃位を企ての罪で道真を九州太宰府に流すことに成功した、
903年2月25日、道真が太宰府で憤死してから、京都で地震や落雷
が多発、道真を追放した藤原時平は38才で死去、藤原家に相次ぎ
不慮の災いが相次ぎました、また御所の清涼殿に落雷し延臣が
亡くなりました、此れは道真の祟りだとされました。
神殿の裏側ですが此処から拝んでも正面から拝んだと同じ御利益が
有るみたいです、この右北の方に巫女の多治比文子(たじひあやこ)
の神社が有ります、942年に神からの信託が有り雷神となった道真
を947年に此の地にまった祀ったのが天満宮の起こりです、
1587年に聚楽第の竣工を祝って北野大茶会を開き来会者千余名に茶
を振舞ったとつたえています。
北野天満宮の北門を出て左へ北川の辻を北へ此れが秀吉の作った
お土居の一部です、洛中、洛外境目です、
続いて西に行くと平野神社です、春には桜の花が満開です、約200種
の桜が古拙を少しづつずれて咲くのです、
北野天満宮の東へ行くと上七軒言う花街です、秀吉による七軒だけの
許可されたものです。
ご覧の通り上七軒の歌舞練場です、
上七軒で有名な和菓子の老松さんです、置屋さんや食事、
お土産屋さんがあります。
最後に少し面白い実話?を紹介します、北野天満宮南出入口から東へ
バス一駅ほど東へ左手(東側)小さなお寺浄土院が有ります、
秀吉が北野大茶会下準備の為北野天満宮に向かっていたら喉が渇き
浄土院(尼寺だった)により茶を一杯所望せよと言いました、
尼さんは、秀吉とは知らなかったようですが、所望という言葉は
位の高い人ときずき不味いお茶より白湯のほうが良いと考え白湯を
出しました、飲み干した秀吉はもう一度茶を所望したら又白湯が
出てきたので、白湯ばかりで、茶くれへん寺、この寺の名前を
ゆだくさん、ちやくれんじと改名させたという話です。
どうぞゆっくりと京都散策お楽しみ下さい。