雅な京都

京都の神社仏閣をメインに名所散策しています
小浜湾四季の沖釣行期もリニューアル。 こちらも宜しくお願い致します。→http://blog.livedoor.jp/cenugatuta2010/

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北野天満宮は、学問の神菅原道真祭られています、約1060年前、_W2A9756
向かいには、豆腐で有名なお店とようけ茶屋が有ります、
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西には天皇陵が有ります、
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参道の西側には、多分秀吉も使ったであろう茶室が有ります。
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北野天満宮のお使いは、牛さんです、自分の良くなりたい所をさすると
良くなるみたいです、
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三光門は、中門の梁間の彫刻に日、月、星が有るので三光門と
言われていますが何所に有るか探して下さい(星は見当ら無いはず)
星は夜に成らないと見えません。
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神殿に向かって右が左大臣で左が右大臣、祭神は菅原道真公と
中将澱(長男)と吉祥女(道真の妻)です、神徳は雪冤と学問の
上達です、平安前期の宇多天皇(59代)は関白家の藤原氏の北家
の独裁を排除するために関白を辞め、菅原道真を重要視し藤原氏に
対抗しましたが、60代醍醐天皇時に、左大臣藤原時平が道真が
天皇廃位を企ての罪で道真を九州太宰府に流すことに成功した、
903年2月25日、道真が太宰府で憤死してから、京都で地震や落雷
が多発、道真を追放した藤原時平は38才で死去、藤原家に相次ぎ
不慮の災いが相次ぎました、また御所の清涼殿に落雷し延臣が
亡くなりました、此れは道真の祟りだとされました。
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神殿の裏側ですが此処から拝んでも正面から拝んだと同じ御利益が
有るみたいです、この右北の方に巫女の多治比文子(たじひあやこ)
の神社が有ります、942年に神からの信託が有り雷神となった道真
を947年に此の地にまった祀ったのが天満宮の起こりです、
1587年に聚楽第の竣工を祝って北野大茶会を開き来会者千余名に茶
を振舞ったとつたえています。
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北野天満宮の北門を出て左へ北川の辻を北へ此れが秀吉の作った
お土居の一部です、洛中、洛外境目です、_W2A9791
続いて西に行くと平野神社です、春には桜の花が満開です、約200種
の桜が古拙を少しづつずれて咲くのです、
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北野天満宮の東へ行くと上七軒言う花街です、秀吉による七軒だけの
許可されたものです。
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ご覧の通り上七軒の歌舞練場です、
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上七軒で有名な和菓子の老松さんです、置屋さんや食事、
お土産屋さんがあります。
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最後に少し面白い実話?を紹介します、北野天満宮南出入口から東へ
バス一駅ほど東へ左手(東側)小さなお寺浄土院が有ります、
秀吉が北野大茶会下準備の為北野天満宮に向かっていたら喉が渇き
浄土院(尼寺だった)により茶を一杯所望せよと言いました、
尼さんは、秀吉とは知らなかったようですが、所望という言葉は
位の高い人ときずき不味いお茶より白湯のほうが良いと考え白湯を
出しました、飲み干した秀吉はもう一度茶を所望したら又白湯が
出てきたので、白湯ばかりで、茶くれへん寺、この寺の名前を
ゆだくさん、ちやくれんじと改名させたという話です。
どうぞゆっくりと京都散策お楽しみ下さい。













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木屋町と高瀬川。1611年嵐山に実家がる、角倉了以が秀吉が作った
方広寺大仏殿(三十三間堂の北側に有)再建の資材を運搬する為に
ダイナマイト等を用いて開削したものです、最初は伏見から五条
迄でしたが、その後了以の私費を投じて現在の二条まで延長
したのです、(1614年完成)尚水源は二条に水門を設置し鴨川の水
をひいています、
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現在は使われていませんが、この奥が船のガレージに成ります、
「一之船入跡」といわれています、船は底が平らな高瀬船と言います
この周辺には日本銀行が有り、島津の事業発祥の地とされています、
此処で角倉了以の人物像を紹介します(1554年から1614年まで)
京都が生んだ最高の土木技師で、嵯峨に有る実家の財力を元に
富を得て、ベトナムの安南貿易で火薬(ダイナマイト?)開削に用い
保津峡、富士川、天竜川、高瀬川、西高瀬河など船運輸の貢献をした。
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この船が高瀬舟です、下りは水の流れに任せ、登りは長いロープで
左右から大人数で引っ張り上げます、
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此処一之船入から五条までの高瀬川東畔を木屋町と言います
木屋町文字どうり高瀬川の水路を利用して材木店が発展した町です、
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春は桜も咲き風情のある散策路です、またこの辺りは、幕末のころ
幕府との戦いの場所でもあり、坂本龍馬や桂小五郎の多大勢の討伐
はの戦いが有ったようです、よく探すと石碑や痕跡が沢山あります、
建物や路地を観察してはいかがでしょうか。
本能寺も近くにあります。

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東本願寺は、JR京都駅中央口から一番近い観光地です、駅を出て
北に向かうと、右上に京都タワーが見えます、_W2A5899
此のタワーの形は灯台を模しています、海の無い市内を照らす物
です、昭和39年12月28日誕生の地上約131mのタワーです、遠くは
左京区の宝ヶ池からも見えるものです、また烏丸通が、
ほぼ真っすぐに京都駅に向かっているため烏丸通を南行すると、
時々見えます、(碁盤の目による)
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北に向かうと最初に見える東本願寺です、東本願寺は、徳川家康の
力を誇示するために、慶長7年(1602年)建立したが三代将軍家光
が寺領を寄進した天明の大火災にあい、建物焼失したが明治28年
再建され、全国に末寺8500余り、門徒約500万に及ぶ
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御影堂は明治28年に再建された(御影堂門は明治44年に再建)
内部は、927畳敷きの大広間が有り正面に宗祖親鸞聖人の木像が
安置されています、御影堂は世界有数の木造建築で、
京都では一番大きい建築物です、(10年の歳月をかけ
明治44完成しました)巨大な材木を引っ張る為当時最強の女性の
髪の毛を束ねてロープとして使われました、
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この他「阿弥陀堂」も有ります(明治28年再建)401畳敷きです、
内部正面には、本尊の阿弥陀如来像が有り、向かって右に親鸞聖人
ひだりには、法然上人の御影が祀られています。2015年12末に
御影堂、阿弥陀堂、御影堂門の修復が完成しました、
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東本願寺の敷地からこの様な風景が見えます、
東本願寺原則自由見学です、この近くに(河原町正面)
枳殻邸(渉成園)池泉回遊式庭園が有ります、PM3時30分までに
お入り下さい、東本願寺別邸です、源融(みなもとのゆう)が
海水を焼いて塩を作ったと言われている塩釜の後の石造りの洞窟が
有ります、この池の水は高瀬川三条から引いているそうです、
木々は梅、桜、カエデ、フジなどで四季折々の姿を見せます。
また少し足を延ばして、西本願寺も併せて観光して下さい。

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